隣の庭を覗く仕事
うーん…
なぜだろう。
人は自分の庭を持っているのに、
隣の庭ばかり見てしまう。
花の数だろうか。
広さだろうか。
咲いている花の種類だろうか。
理由は人それぞれだと思う。
でも気づけばみんな、
フェンスの向こう側を覗いている。
まるで、
そこに探し物でもあるかのように。
「あーなりたい」
「こーなりたい」
人は忙しい。
何が忙しいって、
自分の庭の手入れをする前に、
隣の庭を観察している。
あの花は綺麗だな。
あの木は大きいな。
あっちは実がたくさんなっているな。
そしていつの間にか、
自分の庭を見なくなる。
僕らはよく、
隣の庭に咲いている花を見て焦る。
でも不思議なことに、
その花と同じ種を持っているわけじゃない。
育った土も違う。
降った雨も違う。
吹いてきた風も違う。
過ごした季節も違う。
なのに、
なぜか同じように咲かなきゃいけない気がしてしまう。
隣には薔薇が咲いている。
こっちにはまだ何もない。
すると人は思う。
「自分はダメだ」
と。
でも本当にそうだろうか。
薔薇は薔薇だ。
ひまわりはひまわりだ。
桜は桜だ。
それぞれ咲く季節が違う。
役割も違う。
美しさも違う。
考えてみれば、
桜が薔薇に憧れている話は聞いたことがない。
ひまわりが、
「どうして私は梅の花じゃないんだろう」
と落ち込んでいる話も聞いたことがない。
みんな、
自分の花を咲かせている。
それだけだ。
なのに僕らは、
誰かの花を見て、
誰かの実を見て、
誰かの庭を見て、
自分を測ろうとする。
まるで物差しを借りてきて、
無理やり自分に当てはめているみたいに。
当然、
苦しくなる。
その物差しは、
もともと自分用じゃないからだ。
人は人。
自分は自分。
結局、
何周してもここへ戻ってくる。
誰かにはなれない。
そして、
誰かも自分にはなれない。
だったら、
隣の庭を覗く時間を、
自分の庭に使った方がいい。
知識という種を蒔く。
経験という肥料を入れる。
挑戦という水をやる。
失敗という土を耕す。
全部、
未来の自分への投資だ。
種を蒔いた翌日に、
花は咲かない。
でも見えない土の中では、
ちゃんと根が伸びている。
人も同じなのだと思う。
成長していないように見える日も、
変わっていないように見える日も、
見えない場所では、
ちゃんと根を張っている。
揺るがないオリジナルは、
誰かを真似し続けた先にはない。
自分の庭を信じ続けた先にある。
自分だけの土で、
自分だけの根を張り、
自分だけの花を咲かせる。
それがきっと、
オリジナルということなのだろう。
だから今日も、
隣の庭を覗く仕事はほどほどにして、
自分の庭に水をやろうと思う。
隣の庭が綺麗なら、
綺麗だねでいい。
羨ましがらなくていい。
焦らなくていい。
僕には僕の庭がある。
君には君の庭がある。
世界で一つしかない庭なのだから。
そしてそこで咲く花もまた、
世界に一つしかないのだから🐽🌱✨



チートンさん、こんばんは。
たしかに桜が薔薇に憧れているなんて聞けばそんなばかなと笑えるのに、
私たち人間はそんな事をしてしまっているのですね。
すごい文章です……
普通に泣ける、、、
響き過ぎる、、、、