思考は、カーナビを無視した日に育つ
昔、友人の車に乗せてもらったことがある。
目的地まで一時間。
当然のようにカーナビをセットした。
「500メートル先、右方向です。」
「その先、左方向です。」
「速度超過です。」
「……すみません。」
いつの間にか、
友人より、
カーナビの機嫌をうかがっていた。
言われた通りに走る。
言われた通りに曲がる。
見事なくらい迷わない。
道を一本も間違えない。
渋滞まで避けてくれる。
文明ってすごい。
人類万歳。
もうそのうち、
「今日は少し疲れてますね。」
とか言い出しても驚かない。
……なのだが。
目的地に着いたあと、
ふと聞いてみた。
「今どこ通ってきた?」
「え?」
「橋あったよね?」
「……橋?」
「パン屋あったよ。」
「パン屋?」
「いや、恐竜の看板。」
「恐竜?」
二人とも、
何一つ覚えていなかった。
景色も。
道も。
店も。
唯一覚えていたのは、
「まもなく目的地です。」
という女性の声だけだった。
もはや旅行ではない。
音声ドラマである。
少し笑った。
いや、
かなり笑った。
便利すぎるって、
ここまで人を”移動する荷物”にできるのか。
今の時代は、
人生そのものがカーナビになった。
分からないことは検索。
悩んだらAI。
成功法則はランキング。
「副業はこちら。」
「転職はこちら。」
「幸せはこちら。」
「失敗しない人生はこちら。」
人生なのに、
通販サイトみたいになっている。
レビューまである。
★★★★☆
「人生変わりました!」
たぶん書いたの昨日だろ。
もちろん便利だ。
昔なら図書館へ行き、
辞書を引き、
本を何冊も積み上げ、
司書さんに申し訳なくなるくらい質問した。
今は十秒。
しかもAIは、
「いい質問ですね。」
なんて褒めてくれる。
優しい。
優しすぎる。
たまに、
人間より自己肯定感を上げてくる。
……だから少し怖い。
人は、
目的地には早く着くようになった。
でも、
道を覚えなくなった。
一度だけ、
カーナビが壊れたことがある。
画面は真っ黒。
音声もない。
「終わった。」
そう思った。
ところが、
そこから急に全員、
人間になった。
「あ、パン屋!」
「赤い橋!」
「恐竜!」
「さっきの猫!」
「猫関係ある?」
「ない。」
急に世界が情報量を取り戻した。
寄り道もした。
迷子にもなった。
コンビニで地図を見た。
地元のおじいちゃんにも聞いた。
「この先を左じゃ。」
左へ行った。
田んぼだった。
おじいちゃん…
その情報、平成初期で止まってません?
でも、
怒れない。
あまりにも笑顔だった。
しかも、
田んぼの真ん中で見た夕日は、
目的地より綺麗だった。
結局、
その日のルートだけは、
十年以上経った今でも、
全部覚えている。
考えることって、
これに似ている。
検索は、
目的地まで運んでくれる。
でも、
考えることは、
道そのものを、
自分の中に作る。
誰かの答えは、
レンタカーだ。
速い。
静か。
燃費もいい。
Bluetoothまでつながる。
エアコンも効く。
文句なんて一つもない。
でも、
ガソリンを満タンにして返した瞬間、
「ありがとうございました。」
の一言で、他人になる。
一方、
自分で考えた答えは、
オンボロ自転車だ。
チェーンは外れる。
ブレーキは悲鳴を上げる。
ライトは点くか運次第。
雨の日は乗ったことを後悔する。
坂道では、
だいたい押して歩く。
なのに、
捨てられない。
何度直しても、
また乗りたくなる。
人はよく、
「正解が知りたい。」
と言う。
でも、
本当に欲しいのは、
正解じゃない。
納得だ。
納得は、
Googleにはない。
AIにもない。
最後は、
自分の頭の中でしか作れない。
思考とは、
答えを探す作業ではない。
答えが出ない時間に、
逃げない作業だ。
「本当にそうか?」
「逆だったら?」
「百年前なら?」
「子どもなら?」
「犬なら?」
……犬まで行くと、
たいてい迷子になる。
でも、
その寄り道が、
案外おもしろい。
頭の中を、
散歩する。
効率は悪い。
とても悪い。
今なら完全に、
タイパ違反。
コスパ違反。
たぶん、
SNSなら、
「非効率ですね。」
とコメント欄で怒られる。
だけど、
人生を振り返ったとき、
覚えているのは、
最短ルートじゃない。
迷った道だ。
転んだ坂道だ。
パン屋だ。
恐竜だ。
猫だ。
田んぼだ。
そして、
あのおじいちゃんだ。
人は、
最短距離では、
思い出を作れない。
遠回りだけが、
物語を書く。
だから僕は、
今日も少しだけ、
カーナビを疑う。
検索もしよう。
AIにも聞こう。
文明には感謝する。
便利なものは、
遠慮なく使えばいい。
でも、
最後のハンドルだけは、
自分で握っていたい。
道を間違えるかもしれない。
遠回りするかもしれない。
また田んぼに着くかもしれない。
おじいちゃんが、
もう一度、
昔の道を教えてくれるかもしれない。
それでもいい。
たぶん、
その日のことは、
十年後も笑って話せる。
最短距離は、
目的地には連れていってくれる。
でも、
人生の思い出までは、
運んでくれない。
考えるとは、
カーナビを壊すことじゃない。
「次、右です。」
と言われても、
「今日は、ちょっと左へ行ってみるか。」
そうやって、
自分でハンドルを切ることなんだと思う。
……
もちろん、
左へ行ったら、
また田んぼかもしれない。
でも、
田んぼの話は、
十年後でも笑って話せる。
目的地に早く着いた話は、
たいてい、
誰も覚えていない🐽



納得感が高すぎる…
ゴールに向かって真っすぐな道が引かれたとき
余裕ができたように見えるのに
実際は真っ直ぐ指示通り走ることに必死で
全く周りを見ていなかったりする
逆に、ゴールまでの道を模索しているときは
あっちのほうが近道かな
こっちの方が坂道少ないな
なんて、思考を巡らせて走っているのかも
もちろん、最短で成果をあげられることは重要
ただ、その途中の経験を抜いてもいいのか、
このあたりはもう少し考えながら、技術と向き合っていきたいと思った
涙が・・・・←すぐ泣く
旅行も行く前までが楽しかったりするのに、今じゃ調べることも時短・効率化を選んでるな・・・
便利がすべてじゃない。完璧がすべてじゃない。
分かっているの、チャッピーを開いている自分(笑)